タトゥーには歴史がある!日本や世界におけるタトゥーの起源とは?

現在、タトゥーは多くの人に親しまれるものになっています。タトゥーには様々な意見を持っている方がおられますが、タトゥー文化の起源を知る事でタトゥーに対する考え方も変わってくるのではないでしょうか。タトゥー文化の起源をここではご紹介します。

タトゥーとは?

タトゥー文化

そもそも、皆さんはタトゥーとは何か知っていますか?日本で広く認知されている“入れ墨”や“刺青”は、タトゥーと本質的には同じものを指しています。他にも、紋身(もんしん)・倶利伽羅紋々(くりからもんもん)・紋々(もんもん)等と呼ばれています。 タトゥーは、針・刃物・骨片等を用いて体の皮膚を彫って、その彫られた部位に墨汁・朱・酸化鉄等で色を着色していきながら、文様・文字・絵柄等を描いていきます。
日本は今から約1万5000年~2300年前の新石器時代には、刺青文化が根付いていたと言われています。日本における刺青文化は、世界史的に見ても古い歴史があるとされます。この事からも日本はタトゥーの先進国だったと言う事が言えます。

日本におけるタトゥー文化の起源とは?

タトゥー文化

日本で古代から習慣があった刺青文化

日本では、古代から体の皮膚に傷を付けて色素を入れて、文様・図・記号・線等を残していた歴史があります。刺青は人類の歴史の中でも最も古い身体加工法の一つとなっており、刺青文化は世界中で行われていたと言われています。日本の土偶やはにわの線刻を見ると、古代より刺青文化の習慣が存在したと推定されています。

・沖縄や北海道での刺青文化の歴史

日本の沖縄県に存在する奄美群島から琉球諸島にかけては、ハジチと言われている刺青を女性が指先から肘にかけて入れる習慣があったと言う歴史を持っています。特に、手の部分の刺青は女の既婚を表しており、刺青の施術が完成すると通過儀礼として祝福されていました。このハジチは島ごとで施術範囲や文様は違い、ハジチがない女性と言うのは来世で苦労すると言う言い伝えが存在する所もあったと言われています。また、日本の北海道の先住民族であるアイヌの女性も、唇の周辺や手等に刺青を入れる習慣があったと言う歴史を持っています。
このように、日本の北から南の地まで刺青は日本の各地で広く親しまれていた事が分かります。日本の古事記や日本書紀にも、民の習慣や刑罰に刺青について記載されており、古くから刺青文化が日本では浸透していた事が分かっています。

・変化する刺青分化の美意識

日本では7世紀中頃になると、刺青に対する美意識が大きく変化します。刺青を入れて肉体美を求めるよりも、着衣や香り等で映える美しさを求めるようになっていきます。このような時代背景と共に、一旦17世紀初期頃まで刺青文化は薄れていきます。
しかし、戦国時代を経て社会情勢が安定し始めた江戸時代に、再び刺青文化の歴史が動き出します。誓い合いの方法として、遊女と客との間でお互いの名前を体に彫ったり、侠客の間でも用いられたりするようになります。とび職や飛脚の仕事をしている人にも刺青は好まれていたと言われています。

とび職や飛脚に刺青が好まれていた理由…

とび職や飛脚で働く人は、着物姿では無くふんどし一丁で仕事をする事が多い職業です。周りの人に地肌を晒す事が恥ずかしいと言う思いがあり、刺青を見にまとって地肌を隠す役割を果たしていたと言われています。このような背景から、社会ではやがてとび職には刺青と言うイメージが強く付き、昔は町内の旦那衆でお金を出し合って刺青を彫らせる事もありました。

・昔は鳶や龍の刺青が高く支持されていた

日本では昔から、鳶は粋な江戸のシンボルとなっており、鳶の刺青と言うは誇りであり華でもありました。また、龍の刺青を入れる場合も多かったのですが、龍は雨を降らすと言い伝えられており、自身を守ると言う意味があったと言われています。
そうして刺青の需要が増えていき、次第に文字・図等も彫られるようになり、複雑化した絵にまで拡大していきます。そして、人の体に絵や文字を彫る彫師の出現にも繋がっていった歴史があります。

・大衆に刺青が広まった背景

刺青を入れた侠客が「弱い者を助けて、強い者を倒す」と言う理想像を浮世絵に描かれるようになったり、中国の小説「水滸伝」に出て来る登場人物を全身刺青で描いていたり、これらが世の大衆に大いに受ける事となります。他にも、歌舞伎役者に刺青を描いた浮世絵が発表される等して、刺青文化は多くの人に人気を博していきます。
この刺青文化の流れは、現代の歌舞伎文化にも大きく影響しており、刺青模様の肌襦袢を着た役者が目立った役を演じる演目があります。このように、浮世絵や歌舞伎でも刺青を大きく広めるきっかけにもなり、刺青を入れる範囲も拡大し全身に入れるようになったと言われています。

世界におけるタトゥー文化の起源とは?

タトゥー文化

昔から世界でもタトゥー文化は存在している

現在、最も古いタトゥー文化の発祥の地として知られているのは、ヨーロッパのイタリアであると言われており、イタリアでは5300年前の遺跡からタトゥーをしていた人が居ると言う事が分かっています。しかし、実は1万年以上前の旧石器時代の遺跡から、タトゥーに使用されていたのではないかと推測される天然色素が入ったお皿が発見されたり、エジプトの人形型土器の柄にタトゥーをしている人物らしきデザインがあったりと、既にこの頃からタトゥー文化の習慣があったと推測されています。
また、世界のタトゥー文化の起源に関しては、タトゥー跡があるミイラがアフリカのリビアやスーダン、ロシア等で発見されています。当時のタトゥー文化は現代と異なり、身分の高い人が入れていた事が分かっており、次第にタトゥー文化は広く人々に広がっていった事が分かっています。しかし、タトゥーに対する価値観は、古代ギリシャ、ローマ時代になると、一見して変わります。ギリシャでは哲学者プラトーが、犯罪者はタトゥーをして追放すべきと訴えたり、ローマではキリスト教徒は顔や腕に十字のタトゥーを入れる等、異教徒の習慣であるとされていたりしていました。

世界のタトゥー文化の復活

このような時代背景から、ヨーロッパでのタトゥー文化は衰退していくのですが、大航海時代に再びタトゥーが注目されます。例えば、オランダ人船長がカナダのニューファンドランド島の港に上陸した際に、タトゥーをした若い女性と子供を連れて帰り見世物にしたと言われています。また、イギリス人の芸術家でもあり冒険家のジョン・ホワイトは、ネイティブアメリカンのタトゥーを写生して母国のアメリカに紹介したと言われています。他にも、 イギリス人の植物学者サー・ジョセフ・バンクスは、ポリネシアで自ら体にタトゥーを入れて、ポリネシアの彫師を母国に連れ帰ってタトゥーを世間に大きく広めたと言われています。

まとめ

タトゥーの起源と言うのは、このように世界で古くから世の中の人々に親しまれてきたと言う事がお分かり頂けたのでは無いでしょうか。こうしてタトゥーには長い歴史があるだけに、人それぞれによってタトゥーの持つ印象は、アウトロー、アイデンティティー、アート、ファッション等、様々な価値観があります。タトゥーの起源を知る事でタトゥーに対する思い入れも深くなり、愛着を持ってタトゥーを楽しむ事が出来ますね。